1/31FREECELL特別号16 加藤シゲアキ『閃光スクランブル』表紙巻頭12ページ特集を組んだ理由を編集長・斎藤まことがかなり長く熱く語ります!

加藤シゲアキ閃光スクランブル』表紙巻頭でお届けする1/31発売のFREECELL特別号16、
撮影もインタビューも「最強副読本が出来た!」と自負している12ページの特集記事に関して
はぜひ本誌を読んでいただければと思うのですが、ぼくはいち早く読ませていただ
いたこの『閃光スクランブル』(以下『閃スク』)、前作の『ピンクとグレー』より気に入って
いて、どうしてもこの作品を好きなの理由を言いたいので、ここで言いたいと思います。


その理由とは……言いたいけどRGのまねをしてすぐには言いません。


以下、まずはネタバレはなしで『閃スク』の重要パーツについて解説するAパート、
私小説的な作風の『ピングレ』とは逆張りのエンタメ小説仕様で今の加藤シゲアキ
『閃スク』を出す意味について僕の私見を綴るBパートをゆっくりと読んでもらえたらと思います。
(せっかちなひとは大サビのCパート先に読んでいただいても構いませんが)


A 『閃光スクランブル』のスクランブルとは?

これは渋谷のスクランブル交差点を指しています。渋谷のスクランブル
交差点、過去にいろいろな作品で使われてきました。

音楽なら尾崎豊の「スクランブル・ロックンロール」

以下尾崎豊作品のアナログ盤をすごくきれいにアーカイブ化されている方のサイト
です。「スクランブル・ロックンロール」は85年のアルバム『回帰線』のオープニング
ナンバーに入っています。

http://cress30.exblog.jp/i172/


小説なら野沢尚の「魔笛

これはオウム真理教をモチーフにしていて刊行は2002年ですが90年代の渋谷の空気を色濃く
反映しています。

http://nozawahisashi.jp/works/03_011.html


映画ならソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」のオープニング
シーン

以下「ロスト・イン・トランスレーション」サントラに入っているケビン・シールズの
「City girl」のMV。 1:01にスクランブル交差点出てきます。撮影は2002年の渋谷だと
思われるのでゼロゼロ年代、青学の高等部に通っていた加藤シゲアキが見ていたのも
まさにこの風景でしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=5PFC_c2yuBM


で、一番新しいのが蜷川実花の「へルター・スケルター」にたびたびインサート
されるネット社会の象徴としてのSHIBUYA TSUTAYA抜けのシーン
(この映画の画面の軸になっているSHIBUYA TSUTAYA×あゆの楽曲×蜷川カラーを、
僕はかつて蜷川さんから聞いた"ギャーリー"(ギャルとガーリーのミックス化現象)
のビジュアル版と認識しています)

http://hs-movie.com/index.html


こうした先達たちが大ネタとして使ってきた渋谷スクランブル交差点を
表題として持ってきたところに今回の『閃スク』にかける加藤シゲアキの並々
ならぬ決意を感じます。

今回も表題から決めて制作に入ったという『閃スク』ですが、たとえば
以下図式化すると、加藤シゲアキが『閃スク』では、それこそ年に一、
二冊話題になっている本を買うぐらいのライト層=世間にこの作品を届けたい
のだという強い意図がみてとれます。


『ピンクとグレー』

キーロケーション 原宿方面に向かう途中にある宮下公園

キー楽曲 加藤シゲアキがこの作品のために作った「ファレノプシス


閃光スクランブル

キーロケーション ハチ公口のスクランブル交差点

キー楽曲 ビチカート・ファイヴのとある楽曲


そう、自らタマフル・ファミリーを公言するほどサブカルっ子の加藤シゲアキ
がその軸はブラさずにより広く世間に届く小説を書こうと思ったときに
渋谷スクランブル交差点とビチカート・ファイヴのとある楽曲は
最大の推進力になるアイテムだったのです。

なぜ、加藤シゲアキ小沢健二でもフリッパーズ・ギターでもなく
ピチカート・ファイヴを『閃スク』の重要パートにしたのか?

今回のインタビューではリアルピチカート世代の人もファッション
アイコンとして00年以降に野宮真貴を知って、そこからピチカート
追体験した人両方が膝を打つ、スリリングな解答を用意してくれました。
これはぜひ立ち読みでもいいのでFREECELL特別号16でご確認ください。



B 伝承されていく文化的タスキの意味について


箱根駅伝における、先輩から後輩に代々受け継がれていくタスキって
最大の「伝統の継承アイコン」だと思います。

途中棄権してしまった走者が「タスキを渡せなかった」と号泣する様が
お正月に流れると、誰もが普段はなかなか思い至らない自分の血脈とか
出身校とかに思いを馳せますよね。

iTunesYoutubeに席巻された00年代以降の音楽業界で一番成り立たなく
なってしまったのが、体育会系や歌舞伎などの伝統文化系では成立している
この、「歴史の連なり」を美徳とする継承芸だと思うのです。

細野晴臣を尊敬するcorneliusが同じステージに立ったり、ミスチル桜井和寿
が岡村靖之や元ROGUEのボーカリスト、奥野敦士のリスベクトを自らのイベントで
公言したりと、少なくとも90年代デビュー組のミュージシャンは自分が過去に
すり切れるほど聴いてきたレコード(←この慣用句ももう古語ですが)を創った
アーティストと地続きで自分が存在していることを、わかりやすく自分のファン
に伝えていました。

しかしたとえばゴールデンボンバーはどうでしょう? フロントマンの鬼龍院翔
昨年憧れのGACKTと共演して感動してましたが、ゴールデンボンバーのファンが
そのルーツとしてMALICE MIZERに手を伸ばし、ハマる可能性はほとんどない
でしょう。

なぜならゴールデンボンバーの楽曲そのものがmacのガジェットで制作された
「歴史の連なり」からどれだけ自由に遊べるか、を(結果的に)表現してしまった
音楽であるから。

そんなスーパーフラット化が完遂された世の中で、加藤シゲアキが『閃スク』で
引っ張りだしてきたのがピチカート・ファイヴであり、中村一義なのです。

90年代、両者をよく扱っていた音楽雑誌に在籍していた僕はまず『閃スク』での
彼のいわゆる渋谷系音楽への光りの当て方に唸りました。

『閃スク』のメインの舞台は集団アイドルグループMORSE(モールス)が社会現象化
している現代、そこに主人公のカメラマン・巧の原体験と物語のキーとして
ピチカート・ファイヴ中村一義が、これ以上はない絶妙な角度でインサート
されます。

しかも、それは同時にそれは加藤シゲアキが愛してやまなかった00年代の渋谷HMVへの
オマージュにもなっている…という構造を保ちながら。

日本のエンターテインメント業界で唯一「伝統の継承」を誰もが知る芸として見せていくこと
に成功しているジャニーズ事務所。そのタスキを繋いでいくことの価値を当事者として知って
いる加藤シゲアキは、過去に多くの音楽文化を生んだ渋谷HMVが消失して、渋谷の音楽文化
のレイヤーそのものが透明化してしまうことに危惧を感じのだと思います。

でも、自分はデジタル世代なので以下のような渋谷ヤマハ閉店を心から悼む
渋谷音楽文化第一世代のように情緒でそれを語るすべを持たない。

http://www.sayonara-shibuyaten.com

そこで、彼が考案したのがピチカート・ファイヴのカット&ペーストの手法を小説に取り込み
物語る手法なのです。ピチカートのあの無責任な明るさとその裏に見え隠れする「パーティ
の終わり」をあらかじめ知った者がパーティを楽しんでいるダブルスタンダード構造。
それがそのまま小説化されているが本書の知的な魅力であり、作家・加藤シゲアキの最大の成長
ポイントだと思うのです。



C そして加藤シゲアキは「紙のポール・トーマス・アンダーソン」になった


大サビです。加藤シゲアキは『閃スク』で「紙のポール・トーマス・アンダーソン」になった。
僕は人生ベストワン映画が彼の『パンチ・ドランク・ラブ』なので、ついに日本にもポール・
トーマス・アンダーソン的な才能が登場したのか! と『閃スク』で加藤シゲアキの才気に
かなり当てられたのです。だから『閃スク』が30代、40代のかつてHMVポイントカードを持って
いたすべての人に読んでもらいたいと願っています。

ポール・トーマス・アンダーソンは、『ブギーナイツ』では70年代のポルノスター・ジョン・ホームズ
をモデルにして、70年代のアメリカのポルノ産業の光と陰を掘り下げ、玄人筋の高い評価を得ました。

またトム・クルーズ主演の『マグノリア』ではカリスマナンパ師・ロス・ジェフリーズをモデルにして
90年代のアメリカの精神世界ブームをかなりの毒をもって映画で批評する、という離れ業に成功しました。

加藤シゲアキはそんなポール・トーマス・アンダーソンと同じ気鋭のファクション作家になったと思います。

以下ファクション語意

ファクション 【faction】

《factとfictionの合成語》事実と虚構とを織り交ぜた作品。ノンフィクションとフィクションの中間のもの。


では、なにはともあれ3/1発売の『閃光スクランブル』をご一読を。

閃光スクランブル

閃光スクランブル


そして、そんな彼のアタマの中をより深く知りたい人は僕が編集人を務める
1/31FREECELL特別号16を熟読してください。