FREECELL11/30売り号、『映画 妖怪人間ベム』映評先行公開! 観賞後はスープや鍋物が食べたくなる、珠玉の特撮。 そんなアンバラスなコピーがちょうどいい、せつない性善説の物語・『映画 妖怪人間ベム』


こちらが今回の号で重要な小道具として使ったリアルベムステッキ。表紙もこのステッキ×亀梨さんです




心に闇を抱えたゲストキャラが、柄本明演じる「名前のない男」に「貴方の目、なんだか渇いてますね。」と
その不遇を指摘され、狼狽。彼らは「名前のない男」に悪の心を増幅する緑色のアメーバを注入されて、犯罪
や暴力を起こす非・人間的存在となる。ベムたちはそんな人の道を外れた者たちを、人間に戻すために妖怪体になって戦う。


これがドラマ『妖怪人間ベム』の基本構造であり、原作アニメ『妖怪人間ベム』と一番違うところ。


原作でのヤマだったベムたち正義の妖怪対悪の妖怪という肉弾 戦が、ドラマでは一切ない。


ドラマ『妖怪人間ベム』は、人間の性善説を信じるベムたちが、邪心のカタマリになった者を諭して「人間に戻す」、
いわばセラピー の物語だった。


そして『映画 妖怪人間ベム』は、その構造まんまをスクリーンに移植している作品になった。


だから、『映画 妖怪人間ベム』は大作、スペクタクル、問題作、野心作、といった映画的煽りがあまり似合わない。
テレビ篇から分派したもうひとつの最終回と呼べる、間を重視した人間ドラマに力点をおいた『映画 妖怪人間ベム
は、珠玉作、良作、佳作、というのがしっく り来る。もちろん、映画ならではの巨大で強大な敵との熾烈な戦いも
あるのだが、それも暴走する人間の怨念をどう鎮めるか、という点が主眼になっていて、ラスボスをついに倒すと
いうカタルシスとは違う。


本当にスクリーンで観るドラマ『妖怪人間ベム』の11話という感じで、このまま来週になると12話がまたテレビで
放送されているんじゃないか錯覚を起こしそうな作りなのだ。


でも、この奇をてらわず、職人の仕事を淡々としている感じ、よいのではないか、と僕は観賞後思った。


ドラマのよさって、どれだけ自分にとってそのドラマが大事だったか、ドラマが終わってみてはじめてわかる、
ということに尽きると思う。


それは、ずっと通って いた日常使いできる好きな食べ物やさんがある日とつぜんなくなってしまったとき、
そのお店の真の価値に気付くのと同質だ。


ある意味地味で愚直なまでに実直な『映画 妖怪人間ベム』は、映画という媒体を通してドラマ『妖怪人間ベム
が、いまはもうない「普段使いできる名店」だったことを伝えてくれる。


たとえば僕が映画の中で一番印象的だったのは、ゆえあって娘みちるを夫に託して姿を消さざるを得なくなる
主婦・小百合(観月ありさ)のこんなセリフだ。

「(運動会で転んだみちるの体操着に関して)泥汚れは残りやすいから、お湯に漬け置きしてもみ洗いしてからにしてね」


ドラマの登場人物たちが、ドラマの終盤になって視聴者とも物語とも別れが近づいたとき、あえて些細だけどその
ドラマのテーマと繋がるセリフを、ぽつりという。


これはドラマ篇から一貫して『妖怪人間ベム』を手掛ける河野英裕プロデューサーの作品の特徴的な演出で、
ぼくはそれを勝手に”見えない大ヤマ”と呼んでいる のだが、公開規模的には間違いなく大作の『映画 妖怪人間ベム
でも、それがちゃんとあって、なんだかほっとした。

だから……。

珠玉の特撮。

鑑賞後は、なんだか温かいものが食べたくなる『映画 妖怪人間ベム』には、そんなアンバラスなコピーが
ちょうどいいのではないかと思う。あと、ドラマ篇で大 きな役割を果たしたサキタハヂメ作曲の『異形の愛1 いつかきっと』
がフルバージョンで流れるエンドロールが、さりげに凝っていて、スタッフの『妖怪人間ベ ム』への静かな愛情が感じられて
こちらもよかったです。